今やベテラン俳優として活躍されている市村正親さんですが、若い頃がとてもかっこいいと有名なようです。
今でも貫禄のある男前ですが、もっとかっこいいとなるととても気になりますね。
また劇団四季「オペラ座の怪人」にも出演されていたようです。
今回は市村正親さんの経歴や出演作、また劇団四季の退団理由など紹介していきたいと思います。
市村正親さんの若い頃がカッコイイ!画像や経歴は?
市村正親さんは埼玉県川越出身です。
父親は新聞記者で、川越のローカル月刊紙「武州新報」を立ち上げていたそうです。
母親は飲食店を経営しています。
埼玉県川越商業高等学校卒業後、舞台芸術学院に進んでいます。
1973年、劇団四季「イエス・キリスト=スーパースター」の端役のオーディションを受け合格し、ヘロデ役でデビューを果たしています。
翌年、1974年に正式に劇団四季へ入団し『エクウス』という舞台では、全裸での演技が話題となりました。
またオペラ座の怪人では、主役のオペラ座の怪人を演じ、劇団四季の看板俳優となったが、1990年に退団しています。
若い頃から、舞台俳優として活躍を見せており、歌唱力や存在感の強さを武器にして演技力を発揮しています。
退団後も活躍は続き、ミュージカルやテレビドラマ、ナレーションなどマルチに活動しています。
また、私生活では1984年に劇団四季の女優・八重沢真美さんと結婚していますが、2003年5月に離婚しています。
離婚から約2年後の2005年12月には女優の篠原涼子さんと再婚し、2008年5月に第一子となる男の子が誕生しています。
さらに2012年2月には次男が誕生したとのことでした。
冒頭でもお伝えしたように、市村正親さんの若い頃の画像がかっこいいと話題になっています。
上の画像をご覧下さい。
トレードマークだったパーマがとてもお似合いですよね。
濃い顔立ちでとてもハンサムです。
輪郭がシュッとしていて、顔のパーツが濃いので本当にイケメンです。
また市村正親さんの若い頃のエピソードについても見ていきましょう。
先ほども少し紹介しましたが、市村正親さんは若い頃、俳優の西村晃さんの付き人を3年間つとめていました。
この経験を経て、市村正親さんは「自分より誰かを優先する」ということを覚えたそうです。
付き人を卒業して劇団四季のオーディションを受けることを告げると、西村晃さんは応援してくれたそうです。
さらに市村正親さんが劇団四季時代に演じた「エクウス」のアランは、舞台上で全裸になる場面が注目を集めました。
この舞台では、浅利慶太さんがつきっきりで稽古をつけてくれたそうです。
またあるときには、市村正親さんと相手役の女優をサイパン島に連れて行き、「裸で泳いでくるように」と指示を出されたそうです。
市村正親さんは「羞恥心をとるためなのだな」と感じたそうです。
市村正親さんの若い頃に出演作にオペラ座の怪人!その他は?
「劇団四季」の舞台「エクウス」で主演を務め、一躍ブレイクした市村正親さんは、その後も、
1976年「ブレーメンの音楽隊」
1977年「ヴェニスの商人」
1978年「ウエストサイド物語」
1979年「コーラスライン」
1980年「エレファントマン」
1981年「人間になりたがった猫」
1982年「エビータ」
1983年「ユリディス」
と、次々に話題作に出演し、「劇団四季」の看板俳優として活躍しています。
すると、そんな中、市村正親さんの活躍が、市村さんの地元・埼玉県川越市の地方新聞で、「いっちゃんバンザイ!一人息子は燃えている」と、称賛の記事が掲載されたことがあったそうで、その記事を読んだ、お父さんとお母さんは、大変喜んだそうです。
また、市村正親さんは、1983年には、「芸術選奨新人賞」を受賞し、お母さんとともに記念パーティーに出席しているのですが、
お父さんは、この時、肝硬変で倒れて入院していたことから、歌とダンスを披露した姿を含む、このパーティーの様子をビデオテープにして渡したのだそうです。
市村正親さんが若い頃に劇団四季を退団した理由も
演出家のハロルド・プリンスさんに、「オペラ座の怪人」の主役・ファントム役に抜擢された市村正親ですが、実は、「劇団四季」の代表である浅利慶太さんは、キーの高いファントム役は、市村正親さんでは歌いこなせないと、この人選に反対したそうです。
浅利さんは、自身が気に入る、キャスティング、演出でやりたいと思っていたそうです。
そんな中、ハロルドさんが、「僕が全部やる」と言って、がんとして譲らず、結果、ハロルドさんの強い希望で、市村正親さんが主演に抜擢されたそうで、
市村正親さんは、
あの時、彼が僕をファントムに選んでくれなければ、僕のその後の人生はずいぶん違ったものになっていただろうと思います。
と、語っています。
すると、1988年、市村正親さんがファントム役を演じた「オペラ座の怪人」は大きな反響を呼び、市村正親さんは、1989年にも、引き続き、「オペラ座の怪人」でファントム役を熱演します。
同年末には、「NHK紅白歌合戦」にファントム役で初出場を果たし、全国的にその名を知らしめるなど、ファントム役は、市村正親さんの当たり役となったようです。
そして、1990年、3度目の公演でもファントム役の候補として名前が挙がり、絶頂期を迎えていた市村正親さんですが、退団をしてしまいます。
理由として市村正親さんは、衣装さんから、「市村さん、次のファントムはお出にならないんですってね」と言われたそうで、寝耳に水で、一瞬、自分の耳を疑ったそうですが、この時、ファントム役を降ろされと知ったそうです。
衣装さんは、市村さんはすでに知っていると思い、口をすべらせてしまったようです。
そして、その翌日には、浅利さん本人の口から、「ファントムは他のヤツにやらせるから」と告げられたそうで、市村正親さんとしては、「はい」と言うしかなかったそうですが、同時に、「劇団四季」から退団することを決意したようです。
というのも、この時、ミュージカル「ミス・サイゴン」の日本初公演(1992年)が決まり、オーディションが行われることになっていたそうですが、「劇団四季」の団員でいる間は、ほかの舞台のオーディションは受けられなかったことから、『ここは自分で動き出さなければ。もう迷いはありませんでした。衣装さんのポロッと発言も含めて、すべては僕を「ミス・サイゴン」に引き合わせるための伏線だったんだ。』と、考えたのだそうです。
ただ、後に、市村正親さんは
「役者としての“成人式”」と記す四季からの独立は41歳のときだ。当たり役だった「オペラ座の怪人」のファントムを降ろされると、衣装スタッフに漏れ聞いたのがきっかけだった。
四季を率いた浅利慶太さんが最初に伝えてくれたなら、ずっと劇団に残ったかもしれない。でも、人生にもしもはない。
と、語っており、愛弟子として可愛がられていると自負していた浅利さんからの仕打ちにがっかりしたことが、「劇団四季」を退団しようと思った最大の理由だったのかもしれません。
市村正親さんの若い頃とグァンス(篠原涼子さんの不倫報道)と似てる?
2021年7月24日に篠原涼子(女優)さんと離婚を発表しています。
そんな元妻の篠原涼子さんと不倫報道された、韓流アイドルのグァンスさんも、市村正親さんの若い頃に似ていると噂になっているようです。
市村正親さんとの離婚を発表してすぐ、元妻の篠原涼子さんに不倫疑惑の報道が出ました。
お相手は、韓流アイドル「SUPERNOVA」のメンバー、グァンスさんです。
そのグァンスさん。
市村正親さんの昔を知るファンからは、
若い頃の市村正親さんと似ている!そっくりだ!
そんな声が挙がっています。
横に並べると、瓜二つとは言えません。
ただ若い頃の市村正親さんとグァンスさん、雰囲気は共通するものがあります。
そしてパッと見る限りは、眼光の鋭さや主張する眉、ホリの深さはよく似ています。
篠原涼子さんは堀の深い方がすきなようですね。
まとめ
今回、俳優としてなお活躍されている市村正親さんについてまとめてきました。
若い頃からとても実力のある方だったのですね。
今後も様々な作品に出演されると思うので、楽しみにしたいと思います。